深淵『落雷』の遊び方
今月に『落雷』をあそんだ際の感想戦でやっとわかりました。
感想戦であるPLさんに、
「魔剣が落ちてきて、それからの展開があると思って待っていた」
といわれました。
最初、このPLさんがなにをいっているのかサッパリわかりませんでした。
わたしは、『落雷』は『なぜ魔剣を求めるのか?』ということが主題のシナリオだと考えていました。魔剣はセッションの最後、運命や縁故に思いをめぐらせて『なぜ?』という問題が終わったエンディングの直前に落ちてくる。そうでなければ、魔剣が登場した途端にPLは『どのようにして魔剣を手に入れるか?』ということで手一杯になってしまい『なぜ?』を考える余裕がなくなってしまう。
だから魔剣が落ちてきてそれからの展開なんかありえない。と
・TRPGというのは基本的にGMから提示された「問題」に対して何らかの対処を考えるものである
4種類のセッションタイプ : 紙魚砂日記
という観点からの分類で、以下の4つのタイプのセッションに分類できると思います。
<1>ハウダニットスタイル
問題をどのようにして解くかという「方法」を「PCの視点」で考えるスタイル。
<2>メタ・ハウダニットスタイル
問題をどのようにして解くかという「方法」を「PLの視点」で考えるスタイル。
いわゆる「予定調和」を模索するスタイル。シーンの演出もすべて予定調和の共通認識を築くために行っているのだ。
<3>ホヮイダニットスタイル
問題なぜ解こうとするのかという「動機」を考えるスタイル。
<4>ミステリスタイル
謎解きシナリオ。推理ものという意味ではなくて、そのセッションでは、GMはTRPGを『表現』であると考えていて、PLは、GMから与えられた情報からその全体像が何を意味するのかを解き明かすことを目指すスタイル。
この分類方法を見て、やっとわかりました。
わたしは<3>ホヮイダニットスタイルで遊ぼうとしていたけれど、PLは<2>メタ・ハウダニットスタイルで遊ぼうとしていたんだと。
先に書いたように<3>で遊ぼうとしていたわたしにとって『なぜ魔剣を求めるのか?』ということが重要であって『どのように魔剣を手に入れるのか?』は些細なことだと考えていた。
ところが<2>のPLにとって重要なことは逆に『どのように?』であって、その問題を考えはじめるにはどのようにかして手に入れるべき魔剣が登場していなければならない。つまり、「魔剣が落ちてきて、それからの展開……」が必要不可欠。
PLも自分と同じスタイルで遊んでいるもんだとばっかり思っていたかし、自分のスタイルも普段と同じだと思っていたからPLとなにがちがうのかわかってなかった。
自分のスタイルのほうを変えていたのですね!
もしかして深淵が遊びにくいとか独特だとかいわれるのは、遊び方が<1>や<2>ではなく、なじみのない<3>だからなのでは?